日本には2種類のクマが生息しています。以前こちらの記事『ツキノワグマが人を襲う理由とその大きさ』でご紹介した、本州・四国に生息するツキノワグマと北海道にのみ生息するヒグマ(漢字では”羆”と書きます)。
北海道に住むヒグマは正確にはエゾヒグマと呼ばれ、日本に生息する陸上の哺乳類の中では最大であることも良く知られています。
(撮影:姫路セントラルパーク)
しかしその大きさや雑食性であること、さらには北海道の開拓により人とクマの生活圏が重なったことなどから、はるか昔からヒグマによる人的被害が絶えませんでした。
今回はそんなヒグマの生態と、日本史上最悪の獣害である三毛別羆事件について見ていきたいと思います。
目次
日本最大の陸上哺乳類・ヒグマの大きさ
ヒグマと聞いてまず誰もが想像するのが、『大きいクマ』であるということでしょう。それでは実際にどれくらいの大きさであるのか見ていきたいと思います。
オス
- 体長=1.9m~2.3m
- 体重=120㎏~250㎏
メス
- 体長=1.6m~1.8m
- 体重=150㎏~160㎏
ただしこれは平均値で、過去に記録されている最大のヒグマは
オス
- 体長=243㎝
- 体重=520㎏
メス
- 体長=186㎝
- 体重=160㎏
というものがあります。
さらにその大きさを具体的に見ていくと、こちらの図が参考になります。
出展:http://www1.gifu-u.ac.jp/~rcwm/bear_research.html
まだこれでもピンとこなければこんな画像も
出展:http://jin115.com/archives/52101856.html
さらには『熊の手』とも言われる手を見てみると、
出展:http://www.dogguie.net/fotos-de-un-oso-gigante/
これでヒグマがどれだけ大きな動物であるか、実感がわいてきたと思います。
ヒグマの生態
ツキノワグマが本来夜行性であるのに対し、ヒグマの行動時間帯は一定ではありません。昼夜を問わず活動しているのは古くから知られています。
またその特徴としては
- 泳ぎが得意
- 木登りも得意
- 走れば最高時速は約50㎞/hにも達する
などと言った、その巨体からは想像もできないほどの恐るべき身体能力も兼ね備えています。
(姫路セントラルパークのエゾヒグマ)
さらに口には鋭い牙、手足には巨大な爪があり、それらは生活に役立つとともに時には最大の武器ともなります。
特にヒグマは前足(手)をよく使い、そのためか手の爪が伸びる速さは足の爪が伸びる速さの約2倍もあります。
基本的にヒグマが活動するのは春から晩秋・初冬にかけてで、冬場はツキノワグマと同様巣穴の中で越冬し、出産も越冬期間中に行われます。
また基本的には発情期とメスの子育て期を除いて、単独行動しています。
ヒグマは何を食べている
ヒグマは基本的には雑食性で、最も多く食べているのは植物性のものです。その次によく食べているのは昆虫やザリガニ、サケなどです。
鳥類や哺乳類も食べますが基本的には死肉を食べており、捕食の為に狩りをするというのは滅多に見ることができません。もちろんこのような事例も多数あるようですが、よっぽど空腹であった場合や何かのきっかけで狩りを覚えたケースに限られるようです。
ヒグマが植物性のものを好んで食べる理由としては、基本的に消化能力があまり強くないことも影響しています。特に昆虫やザリガニの外骨格、羽毛、獣毛などは未消化で排出されているのがよく発見されています。
ちなみによく見られるこのシーン。
これは知床半島のみで見られる光景で、北海道全域で見ると実は少数派なのです。
三毛別羆事件
さてこのようなヒグマにより今からおよそ100年前、北海道三毛別(さんけべつ)で日本史上最悪の獣害とその後呼ばれることになる『三毛別羆事件』が起きました。
この事件はあまりにもその内容が凄惨なためその部分のみが注目を浴びている傾向があるのですが、この事件をより詳しく知ることで、ヒグマと人間のあり方について考えさせられる部分があります。
当記事ではその内容を考慮し、事件の概要のみお伝えしたいと思います。
事件の概要
この事件が起こったのは1915年(大正4年)の12月19日~14日にかけてのこと。結果として1頭のヒグマにより7名が命を落とし、3名が重傷を負うという大惨事であったのです。
場所は北海道苫前郡苫前村(現:苫前町)三毛別(現:三渓)六線沢でのことでした。
11月の騒動
11月初旬、ある1件の民家に巨大なヒグマが現れました。被害に遭ったのはトウモロコシのみでしたが、11月20日再度ヒグマが現れたため、飼い馬への被害を懸念し2人のマタギと共に待ちかまえることに。
30日、三度現れたヒグマに発砲したが、仕留めるには至りませんでした。
12月9日
同村の太田家で昼食の為に帰宅した男性が、留守番をしていた6歳の少年が絶命し、一緒にいたはずの34歳の女性が行方不明になっているのを発見しました。
トウモロコシを干してあった窓は破壊され家の中は凄惨な状態であったこと、残された足跡などからヒグマの仕業であることは明白でした。
12月10日
行方不明の女性を捜索するために、約30人の捜索隊が森に進入。約150m進んだ先でヒグマに遭遇するも発砲できた鉄砲はたった1丁のみ。
幸いヒグマが逃げ出したためこの時は被害がありませんでしたが、付近で発見されたのは行方不明になっていた女性の遺体。それはトドマツの根元に小枝を重ねて隠されており、ヒグマが保存食にするための行動であったのです。
その夜、太田家ではなくなった2人の通夜が行われていたが、午後8時半ごろ居間の壁を突き破り、突如ヒグマが室内に乱入。この時も発砲するも仕留めることができず。近所の人々が騒ぎに気付き駆け付けたころには、ヒグマは姿を消していました。
この時、犠牲者は出ませんでしたが、身の危険を感じた一同は下流にある明景家に避難することに。既に10名が避難していた明景家に向かったのです。
しかし太田家を襲ったヒグマは20分も経たない午後8時50分ごろ、今度はこの明景家に襲い掛かったのです。先の太田家から避難してきた人々もすぐに中で起こっている惨劇に気付き、銃を構えてヒグマの出現に備えていました。
そしてヒグマは入口を破り外に出てきたが、またしても打ち損じ。夜の森の中へ姿を消してしまいました。
この2日間の襲撃で命を落としたものは6人(胎児を含めて7人)、重傷者は3人に上りました。
12月13日
その後被害者の遺体を使いヒグマをおびき寄せるという苦肉の策も取られましたが作戦は失敗に終わり、村人たちが避難した空き家をヒグマは好き放題に荒らしまわっていました。
そんな中警備にあたっていたものが不審な大きな影を発見。討伐隊の隊長の命令により発砲すると、その黒い影は闇の中へと消えて行きました。
12月14日
討伐隊の一行の中に山本兵吉(やまもと へいきち)という熊撃ちの姿がありました。彼はより強力なロシア製のライフルを持ち、討伐隊と別れて単独で山に入って行きました。
そしてヒグマを発見。
一発目はヒグマの心臓付近に命中し、続く二発目は見事に頭部を打ち抜いたのでした。
倒されたヒグマ
このヒグマは体長約2.7m、体重340㎏の大物で、胸から背中にかけて『袈裟懸け』と言われる弓状の白斑があったといいます。また体に比べて頭部が以上に大きかったとされています。
そして今も事件が起こった現地では、当時の様子を復元する資料が見られます。
塀に置かれたヘルメットを見てみれば、その大きさが伺えるかと思います。
三毛別羆事件で明らかになったヒグマの習性
この事件が起こったことにより、それまでの認識とは違ったものも含めて、ヒグマの習性が明らかになってきました。
- 火を怖がらない
- 小さい音にも敏感だが、大きな音も恐れない
- 執着心が非常に強い
- 逃げる相手を執拗に追いかけまわす
- 一度食べ物として認識すると、それを学習し行動を繰り返す
ここでは記載しなかった三毛別羆事件の詳細や、それ以外で起こったヒグマの事件を見てみても、この習性が強く見られるものがあります。
例えば1970年に起こった『福岡大ワンダーフォーゲル部・ヒグマ襲撃事件』。この時は3名が犠牲となったのですが、ヒグマに奪われたリュック(食料などが入っていた)を彼らが奪い返したことにより、執拗にヒグマに追跡され最終的には襲撃を受けるといった事態に発展してしまいました。
また三毛別羆事件においては、最初に民家に現れたヒグマが、当初から人間を襲っていたわけではありません。これは12月9日に起こった事件で何らかの原因でヒグマが人を襲い、結果として食料と認識してしまった。
またそれを村人たちが通夜の為に取り返したことにより、ヒグマがそれを取り戻そうとして、新たな惨劇が生み出されたという見方もできると思います。
慟哭の谷
この歴史に残る獣害を書籍にしたのが、1964年に林務官を務めていた木村盛武(きむら もりたけ)さんです。
木村さんは実際に現地に出向いて、被害に遭われた方々の証言を元にこの本を書き上げたそうです。またその中には自身のヒグマに関する体験や、そのほかのヒグマの事件についても書かれています。
そしてそこにはこのような想いがあったと言います。
『ヒグマの習性を明らかにして、二度と同じような事件を起こさない』
かなり詳しく書かれているので、読まれる方は心して読んで下さい。
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ヒグマとの共存を考える
これはヒグマに限ったことではありませんが、共存を考える上ではやはり『出会わない』というのが最善の策だと思います。
現在北海道には、1万頭を超えるヒグマが生息していると言われています。これはつまりヒグマの国が形成されているということです。
その国へ人間が立ち入ってしまえば、まずヒグマは自分の身を守るために攻撃してくるでしょう。そしてそこで味を覚えてしまえば、それはヒグマにとって『ただの食糧』にしか過ぎないのです。捕食の為に襲ったつもりはなくても、あの巨体と鋭い爪、牙にかかれば人間はひとたまりもありません。
普段食べるために哺乳類を襲わないヒグマでも、結果として目の前に転がっている死体は食料以外の何物でもないのです。
また三毛別羆事件のように、ヒグマが民家(人)の近くによって来る原因を作ってはいけません。例えば山やキャンプ場に捨てられるごみや残飯。これは三毛別羆事件で言えば、家の軒下につるされているトウモロコシと同じなのです。
こちらからは近づかず、ヒグマが人に寄ってくる原因を作らない。
人間と野生動物が共存していくには、これを真剣に考えていかなければなりません。
出展:https://www.youtube.com/watch?v=EEY0dAhbSD0
ヒグマの行動や習性が良くわかる動画です。
実際にこんな場面出くわしたら、あなたなら対処できますか?
コメント
たけしのアンビリバボーというテレビ番組で三毛別羆獣害事件を紹介されてるのを見て驚いた。それまで羆の生態に関心がなかったが、あまりのデカさ、特に立ち上がりのサイズが3.5mなんてのは規格外だった。、このサイズに疑問を感じて北海道庁に確認してみた。
100年前の当時は森林伐採は今ほどではなかったのでクマもエサを見つけやすかった点があり、人家まであまり寄り付かなかった。三毛別羆獣害事件の現場が羆が生息してる生活区域に開拓村があったから襲われたということだろう。この羆の体長が2.7mならば立ち上がりはゆうに3mを超える(2階のベランダ位の高さ)らしい。ただ、当時の測量方法がクマの両手を真上に伸ばした部分から足先まで図ったかもしれないという曖昧なところは否定できない。それからみると3.5mはあり得るかもと言ってた。
マタギに見つからずにひっそりと生きてきたのがどこかで人間の味を覚えて人食い熊に変貌した。最近になって、トウモロコシ畑で食いすぎてメタボ熊で写真が出て報道されてたが400kgあった。このクラスだと立ち上がりも3m越えるだろう。
北極の羆やグリズリーまでとはいかなくても、国内の羆もデカイのがいる。ただ、最近の猟師が昔に比べればサイズは少し小さくなったと言ってたと北海道庁の管理官が聞いたそうだ。